Personal History谷口和樹の
パーソナルヒストリー 3
Chapter 3 和歌山県議会への挑戦
政治の世代交代
こればかりは誰かがやってくれるものではないので、後援会の皆さんに相談しながら、無所属で和歌山県議会議員選挙への出馬を決める。
2010年10月 田辺市議会議員 辞職
後援会の皆さんや大塔村の皆さんのスクラムの強さのおかげで、自民党相手の初めての選挙に競り勝つ。
本当に感謝しかない。
2011年4月 和歌山県議会議員選挙 初当選(39歳)。
Chapter 4 東日本大震災と紀伊半島大震災
2011年3月の東日本大震災発災を受け、選挙直後の5月に単身で仙台石巻市にて震災ボランティアに3日間参加。
たくさんのボランティアと一緒に復旧活動をしながら復旧のプロセスやボランティアセンターの運営などを目にする。
同年9月には紀伊半島大水害が発災。
和歌山県内にて大規模土砂災害で多くの犠牲者や被災者が出る中、田辺市でも伏兎野地区と大塔地区に未曾有の大規模土砂災害が発災。多数の犠牲者が出る中、ご遺族の姿を目にすると言葉にならないくらい胸が痛かった。
被災状況の把握は比較的早かったので、田辺市に熊野(いや)地区への自衛隊要請のお願いや木守(こもり)地区への電源車の要請などに取り組み、また発災直後の熊野地区での不明者捜索では直接県に捜索再開を直談判し、ヘリで安全確認をしてもらいながら行方不明者の捜索をさせていただいた。
紀伊半島大水害では田辺西牟婁の基幹産業である梅やミカン畑が大きな被害を受けたが、その中でも長年の課題である「傾斜角20度を超える農地が災害復旧対象にならない」ことが問題になっていた。 この被害のあまりの大きさにJA青年部有志約20名と夜行日帰りバスで上京し、当時の民主党政権と交渉し、政府と農林水産省へ直談判を行った。
また多くの被害が出た河川の復旧工事では、地元建設業者の方々から直接、内水面漁協による復旧工事にあたる多額の協力金について相談を受ける。
地元 内水面漁協に直接要請しつつ、県とも話し合った上で、和歌山県県土整備部、農林水産部長名で「金品要求に応じない」通知を出してもらうなど金銭のやりとりを取り締まる環境を作ってもらう。
Chapter 5 ピンクリボン運動in紀南
県議当選後は「乳がん検診の受診率向上」をめざす臨床検査技師や有志のみなさんによる「ピンクリボン紀南」の立ち上げをサポート。紀南の乳がん検診受診率は極端に低く、早期発見早期治療にむけて取り組む皆さんから多くのことを学んだ。
Chapter 6 エンターテインメントの可能性
2011年、関西の若手府県議会議員と次世代エンターテインメント研究会を設立。
初代会長として「ノンバーバルエンターテインメント」「日本版TICKETS」「食のエンターテインメント」「スポーツエンターテイメント」など関西の活性化にむけていち早く次世代エンターテインメントの研究に取り組んだ。
この経験が役立ち、関西広域連合議会議員に選出された2016年には、関西広域スポーツ推進計画へeスポーツを加えることを提案し、盛り込まれることとなった。
他にも2012年の和歌山県議会にて「スポーツコミッション設立」を提案したことをきっかけに、交流を広げ、ブルキナファソ野球合宿誘致や女子硬式野球連盟の設立にたずさわることにつながった。
Chapter 7 スポーツを通じての国際交流
インドとのレスリング交流
2018年から和歌山レスリング協会副会長をつとめる。
2019年10月には和歌山県と覚書を締結しているインドのマハラシュトラ州を訪れ、マハラシュトラ州レスリング協会を訪問。
2020年2月、指導者と三人の選手からなる和歌山レスリング選手団がマハラシュトラ州合宿で親交を深めてくれたことで本格的な国際交流がスタート。
同時に和歌山選手団でデリーにあるインドレスリング協会本部を訪れ、協会長と2020東京五輪でのインド代表選手団事前合宿誘致について話し合う。
新型コロナ感染症の世界的流行などにより、実現はしなかったが、渡航制限中もインターネットを通して日印国際交流を重ねている。
長年進まなかった和歌山県とマハラシュトラ州(インド)との交流が、「レスリング」がきっかけで大きく前進することになったことは非常に光栄で、今後は選手たちも貴重な経験を得ていけるはずである。
さらなる交流深化に向けて関係する皆さんと共に進みたいと考えている。
他にも2012年、当時の白浜町長から相談された友好都市果川市(韓国)との国際交流では、「日韓女子バレーボール交流」を女子バレーボールクラブの方々とともに立ち上げたりと、様々な新しい市民活動に取り組んだ。